FEVERがオープンして2019年で10歳になります。
東京のはじっこではないけど明らかにネームバリューは無く、本当に環七とラーメン屋と数えられるぐらいの数店舗しかなかった街、むしろ街の名前ですらない新代田で10年。
10年前のオープン時期は「新代田FEVER」と名乗ることを意識して避けていた。ほとんどの人が新代田を知らないので意味がない上にマイナスプロモーションとなる、と考えていたからだ。当時、一般的に大多数の皆様はこう考えていたと思う「新代田ってどこ?遠そうだな」
新代田でライブハウスをやると100人に相談して1000人に「やめたほうがいい」と言われたのは今となっては個人的に鉄板ネタであるが、10年前は本当にそんな感じだった。
10年、本当に長かった。この10年はかっこいいことばかりだけではなかった。色々なことで頭を抱えて悩みまくったし、冷静に考えたら大変なことばかりな気さえする。オープンした10年前、暇すぎてスタッフと仙台まで牛タンを食べに行った事があったぐらいだ(笑)
それぐらい大変だったのに、自分はどこか頭のネジが外れているのか「いいお店で来たんだから大丈夫っしょ」とかなり能天気が爆発していた。焦ってなかったわけではない。ただ、ここが絶対的に素晴らしいライブハウスだといい切れる自信があった。早く日本が誇るライブハウスにならないかなーぐらい思っていた。本気で。
いつぞやかいろんなフライヤーや情報サイトなどで「新代田FEVER」と見ることが多くなり、
10年前に思っていた「新代田」がマイナスプロモーションになることがどこかで逆転していた。
自分でも「新代田FEVER」と言うこともあり、新代田がマイナスイメージになることは自分の中でも完全に消えて、それはおそらくアーティストやお客さんにも同タイミングで伝わっていたように思う。
先日、とある時に音楽関係者ではなく、新代田の引っ越してきた若い方と話す機会があった。
「地元の友人に「新代田に引っ越す」と言ったら「有名なライブハウスのある街だね」と言われて調べたらすごく有名なライブハウスがあるんですね!まだ行けてないですけど引っ越した街にかっこいいライブハウスがあるなんて嬉しいです!まだ行ったことなんですけどね笑」
なんか、報われた。泣きやしなかったが、心はどうしようもないぐらい号泣だった。
新代田プライドがあるわけではない。新代田を盛り上げようとして始めたお店でもない。
ただ、10年目に突入する今、異様に新代田という場所に愛着があり、大切にしたい場所となった。
10年目を迎えるFEVER、自分がやったことは些細なことで、素晴らしいのは勿論演奏しているアーティストであるし、それに応えるオーディエンスだと思う。ただ、本当に頭が上がらないのはFEVERのスタッフだ。FEVERには優秀なスタッフしかいない。偶然でしかないかもしれないが、面白くて、頼りになって、優秀なスタッフばかりしかいない。本当にありがたい。今のスタッフがいなかったらこんなに続く前に閉店していたはずだ。毎日お疲れ様。本当にありがとう。
10周年は1年かけて賑わえるように仕掛けている。
その最初に、新代田駅にFEVERの看板ができた(爆笑)
「新代田から世界へ 羽根木から宇宙へ」10年前にポロッとできたキャッチフレーズが本当になってきたることは
自分が一番ビックリしている。初めて一緒に宇宙でライブをしに行けるバンドは誰になるんだろう...
この文章を書いているとき、あんなことやこんなことを思い出していろいろと書きたいところではあるが、
長くなるので2019年内にあれこれ面白い話をブログで書き出したいと思っているのでお楽しみに。
なにはともあれ10周年も含めて「新代田LIVE HOUSE FEVER」を今後共宜しくお願い致します。
代表 西村仁志